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静岡地方裁判所 平成元年(ワ)648号 判決

原告(亡雪嶋宗介訴訟承継人)

雪嶋惠子

同(同)

森正州

同(同)

雪嶋直通

同(同)

雪嶋佳恵

右原告四名訴訟代理人弁護士

興津哲雄

被告

静岡市

右代表者市長

小嶋善吉

被告

永尾正男

右被告両名訴訟代理人弁護士

牧田静二

右訴訟復代理人弁護士

洞江秀

石割誠

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告雪嶋惠子に対して金二九九三万四一一〇円、同森正州、同雪嶋直通及び同雪嶋佳恵に対して各金九九七万八〇三六円及びこれらに対する昭和六二年一〇月二二日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 亡雪嶋宗介(以下「宗介」という。)は、昭和二年四月二九日生の男子で、東京興亜専門学校本科大陸科一年中退の後、昭和一九年一二月から青島町(元藤枝市)立青島国民学校助教員を務め、戦後、改めて静岡第一師範学校本科を卒業して静岡市立長田南小学校教諭となり、その後、昭和二六年から藤枝市内の松田屋肥料株式会社に勤務したが、昭和三七年、教職に復し、静岡、焼津、藤枝市内の小学校に勤務した後、昭和五四年からは大井川町立大井川東小学校で教鞭をとり、昭和六三年三月末日定年退職した者であり、平成六年四月一八日に死亡した。

原告雪鳴惠子は宗介の妻、同森正州、同雪嶋直通及び同雪嶋佳恵は、順にその長男、次男、長女である。

(二) 被告静岡市は、静岡市立静岡病院(静岡市追手町一〇番九三号所在。以下、「静岡病院」という。)を設置管理している地方公共団体であり、被告永尾正男は、昭和六二年九月ないし一〇月当時、同病院に循環器第二科長として勤務する医師であり、後記宗介に対する医療行為を担当したものである。

2  医療事故の発生

(一) 心臓カテーテル検査を受けるに至る経緯

(1) 宗介は、昭和五〇年ころからの静岡健康管理センター、浜松市の聖隷三方原病院等で年一、二回の健康診断を受けていたが、昭和五六年七月の右三方原病院における検査の結果、心房細動の所見を指摘され、以後、検査の都度、心房細動、不整脈等の症状が認められるようになった。

(2) 宗介は、昭和六二年八月三日、右三方原病院において二日間の人間ドックによる診察を受け、さらに同年八月二二日、同病院の精密検査を受けたところ、担当医師から、不整脈が出ており、心房細動により血栓がとびやすい状態であるから、近くの病院に通院して継続的な投薬治療を受ける必要がある旨指示された。

(3) 宗介は、同年九月七日、血液抗凝固療法を勧める右三方原病院医師の紹介状を持参して静岡病院の心臓病センターの診察を受け、運動負荷心電図において異常があるとのことで即日入院を指示され、宗介は同日、被告との間で同人の心臓疾患の検査・治療等を内容とする診療契約を締結して同病院に入院し、翌同月八日からメキシチール、ジゴキシン、ワーファリン等の投薬治療を受けた。

(4) 同病院における宗介の主治医であった循環器第二科長医師の被告永尾は、当初、宗介の場合は心臓カテーテル検査をやる必要はないとの見解で、その旨を宗介にも告げていたが、同月一八日に至って唐突に、同年一〇月二二日に予約がとれたとして、心臓カテーテル検査を受けるようにと宗介に勧めた。

被告永尾が宗介及び原告惠子に対してなした説明の内容は、「今までの検査の総合的判断により心臓が肥大しているし、心筋症の疑いがあるから、心臓から筋肉をとってくるカテーテル検査をやる。」というものであり、宗介や同原告は、同検査の危険性の有無を心配し、同被告にその点を質したところ、同被告は「静岡病院では成功率は九九パーセントで、事故は一パーセントに過ぎない。」と答え、なお釈然としない宗介が「でもその一パーセントの中に入ると困る。」と不安を投げかけると、同被告は「雪嶋さんは若いし、肝機能や血圧、コレステロール等も問題がない。もっと年をとった人やもっと心臓の悪い人でも成功しているから大丈夫だ。」と説明し、宗介と同原告を説得した。

(5) 宗介は、同月二六日、いったん退院し、自宅にて待機した後、同年一〇月二一日、心臓カテーテル検査を受けるために再度静岡病院に入院した。

(二) 心臓カテーテル検査中の脳塞栓の発症

(1) 宗介は、同月二二日午後一時三〇分、心臓カテーテル検査を受けるために検査室に入室し、午後二時少し過ぎから検査が開始された。

右検査には、主治医の被告永尾が主任となり、他に日向真一、前田明則、空地顕一、山本一博各医師の計五名がチームを結成してこれに当たり、右冠状動脈の造影と左心室の心筋生検を目的とし、右大腿部動脈からカテーテルを挿入する方法が採られた。

ところが、宗介の右冠状動脈の起始部に奇形がみられたことから、被告永尾以外の四名の医師が入れ替わり立ち替わり数種類のカテーテルを使用して右冠状動脈へのカテーテル挿入を試みたが、同所にカテーテルを挿入することができず、最後に被告永尾がこれを試みたがやはり挿入することができず、通常一〇分程度で済む右冠状動脈造影の試技に約一時間も費やしたものの、結局これが成功しなかったため、やむなく大動脈造影をもって右冠状動脈造影の検査に代えることとした。

(2) 大動脈造影の後、左心室造影、さらに被告永尾の手技により左心室の生検が行われたが、宗介は、被告永尾による右冠状動脈造影の試技が行われる最中ないしは心筋生検の手技中に血圧の急激な低下を来し、意識障害に陥った。

これは、右冠状動脈造影の試技中又は心筋生検の前後に血栓若しくは摘出された組織が大動脈から脳血管に流入して脳塞栓症を惹起したものである(本件事故)。

(3) 検査は午後四時五〇分に終了したが、宗介は、CT検査等を受け、午後七時三〇分ころ検査室を出たが、意識はなく、「左手がない」といううわごとを発しており、意識が回復したのは、翌一〇月二三日の朝であった。

(4) 右検査の結果、宗介の心臓疾患は拡張型心筋症と診断されたが、同症に対しては、対症療法として抗凝固療法により血栓の生成を防止するが、重症の場合は、心臓移植以外に治療法がないとされており、要するに本件心臓カテーテル検査以前から前記三方原病院等によって診断されていた病症が確認されただけである。

(三) 後遺障害

宗介は、本件事故後、静岡病院において脳塞栓症による脳梗塞の治療を受けたが、左片麻痺が発症し、同病院(入院中の同年一一月四日から退院する昭和六三年一月三〇日まで)、藤枝市立志太総合病院(同年二月一日から同月一一日まで)及び農協共済中伊豆リハビリテーションセンター(同月一二日から同年四月二四日まで)において、入院してリハビリテーション治療を受け、その後自宅療養に努めたが、左片麻痺による左半身の感覚脱失と著明な高次脳機能障害(失行症及び左半側空間失認症)を伴う後遺障害が残った。

そのため、正常な日常生活を営むことは到底望み得ず、他人の介護を必要とする常況にあって、その障害の程度は、身体障害者福祉法別表の二級と認定された。

3  因果関係

(一) 前記2(二)(2)のとおり、宗介の脳塞栓症は、心臓カテーテル検査中に生じたものであり、その時期は、被告永尾が他の医師たちに交代して右冠状動脈造影の試技に取り組んでいた検査開始後約一時間経過した時点、若しくは、その後、大動脈造影、左心室造影が行われ、最後に心筋生検が行われている検査終了の一〇分ないし一五分前である一六時四〇分ころである。

右冠状動脈造影が通常一〇分程度で終了することからすれば、これに約一時間も費やし、あるいは、その後も継続された本件カテーテル検査は、いずれにしても、既に宗介の身体にとって過度の負担となる医的侵襲であったことは明らかである。

(二) 脳塞栓症は、一般に心臓カテーテル検査に伴って起こりうる合併症の一つであり、具体的機序としては、カテーテル自体の操作により血栓等が剥離された場合、生検時に摘出された組織が鉗子から離れた場合、カテーテル内で生成された血栓が血管内に流入した場合などのほか、造影剤の高圧注入により血栓等が剥離される場合もありうる。

さらに、より基本的な問題としてカテーテルを体内に挿入すること自体が医的侵襲として身体に大きな負担を与えるから、血栓が体内に形成されやすい身体状態の患者としては、このような医的侵襲を受けるということは、そうでない場合に比して脳塞栓症を発症する危険性が格段に高まる。

(三) 宗介は、前記2(一)(1)のように被告永尾の診療を受ける前から心房細動、不整脈の症状があり、そのために心房内に血栓ができやすく、脳塞栓症を発症しやすい状態にあった。

(四) 以上によれば、カテーテル検査により直接血栓が剥離されたなどの具体的機序について明らかにすることができなくとも、脳塞栓症を発症しやすい状態の患者に対して、過度の負担になる医的侵襲を加えることはその発症の危険をより一層大きくすることは自明の理であるから、本件カテーテル検査と宗介の脳塞栓発症との因果関係は優に認められる。

4  被告らの責任

(一) 責任原因の前提(本件検査の必要性の欠如)

(1) 被告永尾は、本件カテーテル検査前に宗介の心臓疾患について、確定診断に至っていないものの、八、九割方までは拡張型心筋症ではないかとの見方をしていた。

(2) 拡張型心筋症の根本的治療法はわが国では事実上行いえない心臓移植以外にはなく、拡張型心筋症の対症療法としての治療法も虚血性心疾患の治療とは根本的に矛盾するものではなく、互いに悪影響を及ぼすこともない。

(3) また、拡張型心筋症の症状の程度についても、本件検査後、宗介は脳塞栓の症状が一応安定した後は、機能回復のためのリハビリテーションに励んだが、被告永尾らにおいて心臓への負担を懸念した形跡は認められないこと、本件検査に先立つ昭和六二年九月二六日に退院し、カテーテル検査前日の同年一〇月二一日に再入院した間、被告永尾らは宗介の身体状態を把握するための準備的検査を何ら行っていないこと、要するに宗介は一ケ月分の薬だけ渡されて、いわば放置されていたことなどの事情によれば、カテーテル検査前の被告永尾による重症であるとの診断の妥当性にも疑問がもたれる。

(4) 宗介は当初被告永尾からカテーテル検査の必要がないと言われていた。以上(1)ないし(4)の事情によれば、宗介の場合、いずれかの時点で確定診断のための心臓カテーテル検査をすることが望ましく、又は医療上必要であったとしても、本件当時に脳血管障害発症の危険を冒してまで実施しなければならないほどの必要性は乏しく、ましてや緊急性は全くなかったといわなければならない。

(二) カテーテル検査を強行した責任(責任原因の第一)

前記のとおり、宗介は極めて脳塞栓症を発症しやすい身体状態にあったのであるから、医師としては、こうした危険を可能な限り除去すべき医療措置を選択、実施すべき注意義務があるというべく、仮に基礎疾患の確定診断のために心臓カテーテル検査が必要であったとしても、その実施の時期、方法、態様については、必要性の程度と危険性の程度を勘案しながら、宗介に過度の負担を与え、脳塞栓症の発症を促進しないよう十分慎重に考慮しなければならない。また、心臓カテーテル検査を開始した後も、宗介に過度の負担が加わるような不測の事態が生じたならば、これを継続強行することなく、中止すべきであった。

しかるに、被告永尾は、前記(一)のように昭和六二年一〇月二二日の時点で宗介に心臓カテーテル検査を実施しなければならないさしたる必要性も緊急性もないにも拘らず、脳塞栓症の発症の危険の高い宗介に対して、発症を誘発する可能性のある心臓カテーテル検査を漫然実施し、さらに右冠状動脈の起始部が奇形でその造影のための試技に長時間を要し、宗介に著しい身体的負担が生ずるにも拘らず、これを中止することなく漫然、強行継続した過失により、宗介に脳塞栓症を発症せしめたものである。

被告永尾は、宗介の主治医として、宗介の身体状態を十分把握しうる立場にあったのであるから、本件カテーテル検査を実施し、強行継続することにより宗介に脳塞栓症が発症しうることを予見し、又は予見することが可能であったというべきである。

よって、被告永尾は、宗介の脳塞栓症発症の結果につき民法第七〇九条の不法行為責任を負担するものである。

(三) 説明義務違反の責任(責任原因の第二)

宗介は、原告惠子と共に昭和六二年九月一八日、被告永尾から心臓カテーテル検査についての説明を受けたが、この時の被告永尾の説明内容は、次の(1)ないし(3)のとおりであった。

(1) 宗介は、普通の心房細動なら入院しなくてもよかったが、ポックリ病の心電図だったから即入院してもらった。心筋症の疑いがある。

(2) 一〇月二二日に心臓カテーテルの予約をとった。心臓の筋肉をつまんでくるカテーテルをやる。

(3) (宗介の妻がカテーテルの危険性について質問したのに対し)九九パーセントは大丈夫だ。(宗介が、もし、その一パーセントの中に入ると困ると心配すると)宗介の場合は考えられない。今までの検査結果、コレステロール、肝機能、血圧すべて正常で、もっと高齢の人や心臓の悪い人もやっているから宗介の場合は大丈夫だ。安心して受けてほしい。大分データがよくなってきたから、近々退院してカテーテルに備えて欲しい。

宗介らは、従前必要がないと聞いていたカテーテル検査をやる、と突然言われて驚き、不安になった。そこで、カテーテル検査に危険はないのか、重ねて尋ねたが、被告永尾の答えは大丈夫だということを強調するのみで、死亡、心筋梗塞、脳血栓(脳塞栓)などの合併症がありうるという説明は全くなかった。また、この検査の必要性については特に説明を受けていない。被告永尾の話し方は、早口の関西弁でわかりにくかったが、検査を受けるかどうか宗介の意向を尋ねるというものではなく、予約がとれたから検査をやるという一方的な通告のようなものだった。

医療行為は、医師が患者に対して一方的専断的に施すものではなく、医師と患者の信頼関係に基く協同行為であり、患者はいかなる医療をいかなる時期に受けるか否かについて自己決定権を有するものである。患者が医療に対する自己決定権を有効に行使しうるためには、医師から患者に対し、病気と選択すべき医療行為の内容、その必要性、当該医療行為を実施した場合の効果と合併症等の内容、合併症発症の危険の程度、実施しない場合に予想される病状の推移等について、詳細かつ具体的な説明がなされることが絶対の前提条件となる。

医療行為は、そうした医師の説明を十分に理解した患者の承諾(インフォームド・コンセント)がなければ、適法になしうるものではない。

すなわち、患者に医療行為を施そうとする医師は、右のような意味における説明義務を負うものであり、心臓カテーテル検査のような重篤な合併症を発症させる危険のある医療行為については、当然ながら説明義務の内容は加重される。

しかるに、被告永尾は、宗介の病状についても、カテーテル検査の内容についても、その必要性についても十分な説明をせず、現実に発症が危惧される脳塞栓症をはじめとする合併症については何ら言及することなく、宗介らの質問に対しても、「九九パーセントは大丈夫だ」、「雪嶋さんの場合は大丈夫だ」などと安全性を強調するのみで、一方的に検査日を指定して、宗介に事実上諾否の自由を与えないまま、本件カテーテル検査を受けさせたものである。かかる被告永尾の医師としての行為は、説明義務に違反すること甚しいものがあり、単に宗介の医療行為についての自己決定権を奪ったのみならず、本件カテーテル検査を受けさせたことにより宗介に脳塞栓症を発症させたものであるから(被告永尾に脳塞栓症発症の予見可能性があったことは前節に述べたとおりである)、その結果につき民法第七〇九条の不法行為責任を負担することは明らかである。

(四) 被告静岡市の責任

被告静岡市は、前記のとおり、宗介との間で同人の心臓疾患の検査、治療等を内容とする診療契約を締結したものであるから、その履行補助者である被告永尾の前記違法行為に基づく宗介の脳塞栓症発症につき債務不履行責任を負うべきであり、また、被告静岡市は、被告永尾を医師として雇傭するものであるところ、その事業の執行につき同被告が不法行為により宗介に脳塞栓症を発症せしめたことについて民法第七一五条の使用者責任を負う。

5  損害

(一) 宗介の損害

(1) 逸失利益 金三四四二万五六五五円

宗介は定年退職後、自宅において学習塾を開設することを計画していたが、本件事故により挫折した。

本件事故による宗介の逸失利益としては、事故当時満六〇歳であったから、昭和六二年賃金センサス男子・高専短大卒六〇歳ないし六四歳の年間平均賃金四四五万八三〇〇円を基準とし、労働能力喪失率一〇〇パーセント、就労可能期間を一〇年間とし、中間利息の控除につきライプニッツ法(係数7.7217)として求めた額金三四四二万五六五五円が相当である。

(2) 慰謝料 金二〇〇〇万円

宗介は、本件事故がなければ定年前の最後の思い出となるはずであった半年間の教職生活と児童との交歓の場を奪われただけでなく、定年後の前記計画も挫折し、生涯、療養生活を余儀なくされる身体となってしまったものである。その精神的苦痛を慰謝するに足りる金額としては、二〇〇〇万円を下るものではない。

(3) 弁護士費用 金五四四万二五六五円

宗介は、本訴を提起するに際し原告ら訴訟代理人に訴訟追行を委任した。被告らに負担させる弁護士費用としては、右(1)(2)の合計額金五四四二万五六五五円の一割に当たる金五四四万二五六五円が相当である。

(二) 前記1のとおり、宗介の死亡に伴い、原告らがその法定相続分に応じて右損害賠償請求権を相続した。

6  総括

よって、原告らは、被告らに対し、被告静岡市に対しては債務不履行あるいは民法七一五条の使用者責任に基づく損害賠償として、また、被告永尾に対しては不法行為に基づく損害賠償として、連帯して原告雪嶋惠子に対して金二九九三万四一一〇円、同森正州、同雪嶋直通及び同雪嶋佳恵に対して各金九九七万八〇三六円並びにこれらに対する本件事故発生の日である昭和六二年一〇月二二日以降支払い済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実中、宗介が昭和二年四月二九日生の男子であること、同人が平成六年四月一八日に死亡したこと、原告雪嶋惠子は宗介の妻、同森正州、同雪嶋直通及び同雪嶋佳恵は、順にその長男、次男、長女であることは認め、その余は不知。

同(二)の事実は認める。

2  同2の事実について

(一)(1) 同(一)(1)の事実中、宗介が、昭和五六年七月の三方原病院における検査の結果、心房細動の所見を指摘されたこと、心房細動、不整脈等の症状があらわれるようになったことは認め、その余は不知。

(2) 同(2)の事実中、昭和六二年八月二二日、三方原病院の精密検査を受けたところ、担当医師から、不整脈が出ており、心房細動により血栓がとびやすい状態であるから、近くの病院に通院して継続的な投薬治療を受ける必要がある旨指示されたことは認め、その余は不知。

(3) 同(3)の事実は認める。

(4) 同(4)の事実中、被告永尾が宗介及び原告惠子に対して、心臓カテーテル検査の説明をしたことは認めるが、その日時は、九月一九日の午前一〇時三〇分ころである。説明内容は次の①ないし④のとおり本疾患の可能性、予後、合併症、心臓カテーテル検査の必要性等に及んで必要十分に行われたものであり、その余の部分は否認する。

① これまでの検査結果からすれば、宗介の病気は拡張型心筋症の可能性が最も高いが、虚血性心疾患の合併も否定できない。

② 拡張型心筋症は、心臓の働きが悪いことから心臓内で血栓ができやすく脳梗塞を合併する危険が極めて高い疾病であり、また宗介の場合不整脈があり突然死の危険もある。

③ いずれにしても今後の治療方法の選択のために確定診断が必要であるが、そのためには、虚血性心疾患の合併の有無の確認、拡張型心筋症とすればその重症度、予後の判定のため左心室造影、冠動脈造影、心筋生検を含めた、心臓カテーテル検査が必要である。

④ 右検査に伴う合併症としては、死亡、心筋梗塞、脳血栓症等が考えられるが、静岡病院における経験、実績から考えてその発生頻度は0.1パーセントから0.05パーセント、言い替えると一〇〇〇人から二〇〇〇人に一人の発症ということになる。しかし、このような検査に伴う重症の合併症は重い心臓病患者に多く発生するのであって、宗介の場合にはその危険は少ないのではないか。したがって安心して検査を受けて欲しい。

(5) 同(5)の事実は認める。

(二)(1) 同(二)(1)の事実は、宗介が、同月二二日午後一時三〇分、心臓カテーテル検査を受けるために検査室に入室し、午後二時少し過ぎから検査が開始されたこと、右検査には、主治医の被告永尾が主任となり、他に日向真一、前田明則、空地顕一、山本一博各医師の計五名がチームを結成してこれに当たったこと、右冠状動脈の造影と左心室の心筋生検を目的とし、右大腿部動脈からカテーテルを挿入する方法が採られたこと、宗介の右冠状動脈の起始部に奇形がみられたことから、同所にカテーテルを挿入することができず、やむなく大動脈造影をもって右冠状動脈造影の検査に代えることとしたこと及びそのために通常より検査に長時間を要したことは認め、その余は否認する。

(2) 同(2)及び(3)の事実中、大動脈造影の後、左心室造影、さらに被告永尾の手技により左心室の生検が行われたこと、宗介に意識障害が現れたこと、これが脳塞栓に由来するものであると考えられること、CTスキャンを施行した後病室に帰室したことは認め、その余は否認する。

(a) 本件検査の間、宗介には心室性期外収縮が頻繁に出現し、キシロカインの静脈注射を二回行っている。また、午後四時四〇分ころ、大動脈造影終了後、宗介は血圧低下を来し、意識レベルも低下したが、昇圧剤エホチール0.5アンプルを静脈注射し、さらにエホチール0.5アンプルを点滴静注し、収縮期血圧は一九〇ミリメートル・水銀柱(以下、血圧については単位の表記を省略する。)まで上昇した。この血圧低下の際、心電図は、心室性頻拍を示していた。

その後、再度左心室造影を行い、最後に左心室心筋生検を行って午後四時五〇分検査をすべて終了した。

ところが、検査終了後、心臓カテーテル検査テーブルより患者移送用ストレッチャーに原告を移して数分後、意識レベルの低下と共に左半身の硬直・嘔吐が出現し、両側の瞳孔の散大を認めた。脳梗塞による脳圧昂進を疑い、ステロイドホルモンの静脈注射、脳圧低下剤グリセオールを点滴静注し、併せてカテコールアミンの点滴静注を行った。収縮期血圧が一八〇となったため、カテコールアミンの点滴は中止し、直ちにラクテック単味に変更した。

その後、CTスキャンを施行し、午後六時三〇分、病室に帰室した。

(b) 右によれば、本件心臓カテーテル検査中には、心室性期外収縮がみられたほか、二回の血圧低下があったことは明らかである。すなわち、第一回目は、大動脈造影終了後であり、第二回目は、検査終了後、患者をカテテーブルからストレッチャーに移して止血処置をとっているときである。

このうち、第一回目の血圧低下は、迷走神経反射に基づく一過性の低血圧であると考えられ、第二回目の血圧低下が本件にとってより重要な事項、すなわち、脳塞栓の発症と密接な関係を持つものである。そして、脳塞栓症は突発的に発症し、脳局所徴候は二〜三分以内に完成するのであるから、検査終了後一〇分〜一五分後に発症した本件塞栓症は心臓カテーテル検査とは何等関係のないものと言わざるを得ない。

(3) 同(4)の事実中、原告に対する拡張型心筋症の診断が、本件検査以前に三方原病院でされていたとの点を争い、その余は認める。

(三) 同(三)(後遺障害について)

宗介が、本件事故後、静岡病院において脳塞栓症による脳梗塞の治療及びリハビリテーション療法を受けたこと、同病院を昭和六三年一月三〇日に退院したことは認め、その余は不知。

3  同3(因果関係)について

(一) 同(一)については、否認する。前記(二)(2)と同じである。

(二) 同(二)については、脳塞栓症が心臓カテーテル検査に伴って起こりうる合併症の一つであることは認め、その余は争う。

(三) 同(三)については、宗介に心房細動、不整脈の症状があり、心房内に血栓ができやすく、脳塞栓症を発症しやすい状態にあったこと自体は認めるが、だからこそ被告永尾はワーファリン等を投与し、血栓症ないし塞栓症の発症の危険を十分にコントロールしながら本件心臓カテーテル検査を実施したものである。

(四) 同(四)は争う。

前記のように、本件塞栓症はその発症の時期に照らし心臓カテーテル検査とは何等関係のないものである。

仮に百歩を譲って、本件塞栓症が原告ら主張のようにカテーテル操作中に発生したものとしても、検査に際して万全の準備をし慎重なカテーテル操作を行っても、ある一定の頻度で発症する脳塞栓症は避け得ないものであり、本件の場合、脳塞栓症の発生はまさに不可抗力であったものというべく、その発症につき、被告らに責任はない。

4  同4(被告らの責任)について

(一) 同(一)(責任原因の前提)について

同(1)についてはおおむね認め、同(2)(拡張型心筋症の根本的治療法はわが国では事実上行いえない心臓移植以外にはないとする点を除く)ないし(4)は否認する。

宗介の場合、心電図上、心房細動、心室性頻拍症を呈して、著明な心拡大を示しており、拡張型心筋症の可能性が最も高いと診断されたが、一方、虚血性心疾患の合併も否定できなかった。

拡張型心筋症と虚血性心疾患とでは治療方法が異なり、その治療方法の選択などのためには宗介について確定診断、殊に、虚血性心疾患の除外診断を行う必要があり、そのためにはどうしても心臓カテーテル検査が必要であった。

すなわち、拡張型心筋症は原因不明の心筋疾患のうち、心室の拡張及び収縮不全を特徴とする疾患である。本症は典型的なうっ血性心不全を来すことが多く、以前はうっ血型心筋症と呼ばれていた。心エコー図、左心室造影などで左心室の拡張と駆出分画の低下がみられれば本症が疑われるが、あらゆる心疾患が末期には本症と同様な病態に陥ることから、本症の診断には先天性心疾患、弁膜症、冠動脈疾患などの原因疾患を除外することが重要で冠動脈造影が必要とされている。また、拡張型心筋症と虚血性心疾患との合併は極めて高度の頻度で認められるとされている。

(二) 同(二)(カテーテル検査を強行した責任)について

争う。

前記のように、宗介の脳塞栓症の発症は、心臓カテーテル検査が終了した後、カテテーブルからストレッチャーへ移動させて止血処置をしているときに発症したものであり、カテーテル操作ないしその続行とは、因果関係はないから、原告の主張は前提を欠く。

なお、確かに、拡張型心筋症については、その合併症として重症心室性不整脈と心房細動が重要で、前者は突然死の、後者は血栓、塞栓症の原因となるものである。だからこそ、被告永尾医師は、昭和六二年九月七日宗介を初診し、拡張型心筋症と診断するや即日入院をすすめ、経口抗凝血薬であり血栓症の予防剤であるワーファリン、心室性頻拍症抑制のためメキシチール、強心薬(ジギタリス製剤)ジゴキシンの投与を開始し、その後も薬剤効果判定のため、ホルター心電図による長時間看視の継続、運動負荷心電図の検査を繰り返して行い、九月二六日には不整脈の改善、心胸郭比の縮小を認め、さらにトロンボテストの結果、心臓のコントロールが良好であることを確認して一旦退院させ、その後、宗介の身体状態が十分検査に耐え得ることを確認して、再度、一〇月二一日カテーテル検査を目的として入院させるなどの処置を取ってきたものである。

さらに、被告永尾は、本件検査のため入院後も、宗介に対し、ワーファリン、ジゴキシン、メキシチールの投与を継続し、検査当日も、検査に先立って速効性の抗凝血薬ヘパリン(乙第二八号証の一〇参照)を投与するなどして血栓症あるいは塞栓症発症の危険を十分コントロールした上で本件心臓カテーテル検査に臨んだもので、本件検査の実施時期、方法、態様等は慎重に選択されたものであることは、このような臨床経過に照らして明らかである。

(三) 同(三)(説明義務違反の責任)について

争う。

前記2(一)(4)のとおり、被告永尾は、宗介及び原告惠子に対し、必要十分な説明を尽くしており、説明義務違反はない。

(四) 同(四)(被告静岡市の責任)について

被告静岡市が宗介と診療契約を締結したとする点を除き、争う。

4  同4(損害)について

宗介の死亡に伴い、原告らがその法定相続分に応じてこれを相続したことは認め、その余は争う。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因事実中、次の事実は当事者間に争いがない。

1  宗介は昭和二年四月二九日生の男子であり、本訴を提起後の平成六年四月一八日に死亡し、宗介の妻である原告惠子、長男である同森正州、次男である同雪嶋直通及び長女である同雪嶋佳恵が相続人として本件訴訟を承継した。

被告静岡市は、静岡病院を設置管理している地方公共団体であり、被告永尾は、昭和六二年九月ないし一〇月当時、同病院に循環器第二科長として勤務する医師であり、宗介に対する本件心臓カテーテル検査等の医療行為を担当した。

2  宗介は、昭和五六年七月、聖隷三方原病院における検査の結果、心房細動の所見を指摘され、そのころから心房細動、不整脈等の症状があらわれるようになった。そして、昭和六二年八月二二日、右三方原病院の精密検査を受けたところ、担当医師から、不整脈が出ており、心房細動により血栓がとびやすい状態であるから、近くの病院に通院して継続的な投薬治療を受ける必要がある旨指示された。

そこで、宗介は、同年九月七日、血液抗凝固療法を勧める右三方原病院医師の紹介状を持参して静岡病院の心臓病センターの診察を受け、運動負荷心電図において運動後心室性頻拍症が認められた。被告永尾は宗介に対し、致死性の不整脈があることを告げ(宗介は「ポックリ病の人の心電図の波だ。」と聞いている。)、即日入院を指示した。宗介は同日、被告との間で同人の心臓疾患の検査・治療等を内容とする診療契約を締結して同病院に入院し、翌同月八日からメキシチール(心室性頻拍症抑制)、ジゴキシン(強心薬)、ワーファリン(経口抗凝血薬)等の投薬治療を受けた。

宗介は、同月二六日に一旦退院したが、右に入院中に被告永尾から原告惠子と共に心臓カテーテル検査が必要である旨及びこの検査を同年一〇月二二日に実施する予約が取れている旨の説明を受けた(説明を受けた日時及び説明の内容については後に判断する。)。

宗介は、心臓カテーテル検査を受けるために同年一〇月二一日、再度静岡病院に入院した。

3  宗介は、心臓カテーテル検査を受けるために同月二二日午後一時三〇分、検査室に入室し、午後二時少し過ぎから検査が開始された。

右検査は、右冠状動脈の造影と左心室の心筋生検を目的とし、右大腿部動脈からカテーテルを挿入する方法が採られ、主治医の被告永尾が主任となり、日向真一、前田明則、空地顕一(以上三名は内科)、山本一博(循環器第二科)各医師の計五名がこれに当たった。

検査は、左心室造影、左冠動脈造影、右冠動脈造影と進められたが、宗介の右冠状動脈の起始部に奇形がみられたことから、同所にカテーテルを挿入することができず、やむなく大動脈造影をもって右冠状動脈造影の検査に代えることとした。そのため、この段階まで検査メニューが進むのに通常よりも長時間を要した。

大動脈造影の後、再度の左心室造影、さらに被告永尾の手技により左心室の生検が行われた。

4  右心臓カテーテル検査に際し、宗介に脳塞栓に由来するものであると考えられる意識障害、左半身硬直、嘔吐症状等が現れた(時期については、後に判断する。)。

そこで、検査終了後、宗介に対し、CTスキャンを施行した後病室に帰室した。

5  本件心臓カテーテル検査の結果、宗介の心臓疾患については拡張型心筋症であり、虚血性心疾患の合併の疑いは除去された。

6  宗介は、本件事故後、静岡病院において脳塞栓症による脳梗塞の治療及びリハビリテーション療法を受け、同病院を昭和六三年一月三〇日に退院した。

二  また、原告本人尋問の結果及びこれによりいずれも真正に成立したものと認められる甲第七号証、第八号証に弁論の全趣旨を総合すれば、宗介は、静岡病院を退院した後、藤枝市立志太総合病院(同年二月一日から同月一一日まで)及び農協共済中伊豆リハビリテーションセンター(同月一二日から同年四月二四日まで)にそれぞれ入院し、リハビリテーション治療を受けたこと、その後自宅療養に努めたが、前記脳塞栓による脳梗塞のため、左片麻痺による左半身の感覚脱失と著明な高次脳機能障害(失行症及び左半側空間失認症)を伴う後遺障害が残ったこと、そのため、日常生活において他人の介護を必要とする常況にあること、その障害の程度は、身体障害者福祉法別表の二級と認定されたことが認められる。

三  脳塞栓症の発症と本件心臓カテーテル検査との因果関係

そこで、右宗介の後遺障害の原因となった脳梗塞をもたらした脳塞栓症が、本件心臓カテーテル検査に起因するものであるのかについて検討する。

1  脳塞栓症発症の特徴

いずれも成立に争いのない乙第一一号証ないし第一三号証及び第二〇号証並びに証人山本一博の証言(以下「山本証言」という。)及び被告永尾本人尋問の結果(以下「永尾供述」という。)によれば、脳梗塞には、脳血栓と脳塞栓の二種類があり、脳血栓は当該部位の動脈硬化で起こる病気で、症状は緩やかに発現するが、脳塞栓は他の部位から栓子が飛んで脳血管がつまることにより起こる急性発症の病気であり、出血性梗塞を伴うことが多く、その特徴は、「急激な発作の出現(数秒あるいは二〜三分間)」、あるいは「突発的に発症し、脳局所徴候が二〜三分以内に完成する。」という点にある。

そして、心臓カテーテル検査中、何らかの原因により心臓に生じた血栓が飛んだ場合、血流に乗ってほぼ秒単位で脳に達し、症状の発現をもたらす。

2  宗介の脳塞栓症の発症の時期

(一)  カルテ等の記載

いずれも成立に争いのない乙第二号証(入院診療録)、第八号証(心臓カテーテル・血管造影記録)、第一五号証の一及び二(写真)並びに前記山本証言及び永尾供述によれば次の事実が認められる。

(1) 乙第二号証六四丁表裏及び第一五号証の一及び二の記録は、通常「カテーテルの指示書」と呼ばれ、カテ室勤務の看護婦が検査の前処置、検査中の医師の指示、術中の記録、カテーテル終了後の指示等を記録しておくものであることが認められるところ(以下「カテ中記録」という。)、これには次のような記載がある(使用薬剤の用途については、前掲の証拠の他に認定に要した書証(いずれも成立に争いがない。)については、その番号を付記した。)。

一四時

・検査開始

・ラクテック五〇〇ミリリットル(リンゲル輸液)

・ヘパリン四〇〇〇単位(速効性の抗凝血薬・乙第一八号証の一〇)を静注。

一四時二〇分

・ニトログリセリン一錠(狭心症、心筋梗塞の予防薬であるが、ここでは血管拡張のため投与。甲第一八号証、乙第一八号証の六)舌下投与。

一五時

・VPC(心室性期外収縮)発生。キシロカイン五〇ミリグラム(抗不整脈薬・乙第一八号証の一三)静注。

一五時四〇分

・キシロカイン五〇ミリグラム(前同)を静注。

一六時四〇分

・血圧低下、「嘔気」あり

・エホチール(非カテコールアミン系昇圧剤・乙第一八号証の二)二分の一アンプルを静注。

・エホチール(前同)残り二分の一アンプルを点滴。血圧一九〇に上昇。

一六時五〇分

・検査終了。

右記載に続いて、時間の特定はないが次の記載がある。

・左半身硬直出現。サクシゾン一〇〇〇ミリグラム(ステロイドホルモン剤・乙第一八号証の八)静注。

・「嘔気」あるためプリンペラン一アンプル(鎮嘔剤・乙第一八号証の一二)静注。

セントラル挿入。アタラックスP(抗ヒスタミン薬・乙第一八号証の七)及びプレドニン(ステロイドホルモン剤・乙第一八号証の九)を静注。

脳圧降下のためグリセオール(浸透圧利尿薬・乙第一八号証の三)の点滴開始。

昇圧のため塩酸ドパミン(カテコールアミン系昇圧剤・乙第一八号証の五)を投与したところ、血圧が一八〇に上昇したのでラクテック単味に切り替える。

(2) また、乙第八号証(心臓カテーテル・血管造影記録)は、静岡病院の宮下医師が本件心臓カテーテル検査に立会い記録者として記載したものであり、その四丁の下半分は、被告永尾の記載によるものであるが、その記載を山本証言及び永尾供述により意味を補って整理すると次のようになる。

右心カテーテル、左心カテーテル、左心室造影の後(三丁)、左冠動脈をJL―4規格のカテーテルで造影し、六方向から撮影した。次に右冠状動脈の造影を数種類のカテーテルを用いて試みたが、造影ができなかった。角度を変えての左心室造影により左冠動脈は確認した(四丁上半分の記載)。

そして、右記載に続いて、被告永尾の筆跡で

「→一過性低血圧。

迷走神経反射に基づく?。

エホチール静注。

→左室生検。

左不全麻痺、散瞳(両側)がカテテーブルからストレッチャーに移動した後に出現した。

意識レベルもうろう。

→CTスキヤン」

という内容の英文が記されている。

また、同号証二丁の併発症の欄には、脳塞栓症の疑いの記載と共に「迷走神経反射に基づく一過性低血圧」との記載がある。

(3) さらに、前記乙第二号証五〇丁裏には、被告永尾が検査当日の経過及び処置として、英文で次のような記載をし、軽度の脳梗塞の疑いとしている。

「Transient Hypotension during cardiac cathe.

and after that, consciousness level is

drowsy and 1-arm weakness appeared

with nausea, 10〜15 min. after the

end of Cardiac cathe.」

(同訳文の記載は、「心カテ中に一過性の低血圧が出現し、その後、意識レベルが傾眠(ぼんやりと)し、心カテ終了後一〇分ないし一五分で左上肢の筋力低下、吐気が出現。」とされている。)

(二)  血圧低下の時期及び回数

原告らは、右記録中の宗介の血圧低下及び意識レベルの傾眠が脳塞栓症の発症に関連を有するものであると主張している。

ところで、右各記載中、乙第八号証の心臓カテーテル・血管造影記録には、タイムテーブルの記載がなく、時刻を特定することができないものの、血圧低下に対する対処として昇圧剤エホチールを投与していることに照らせば、カテ中記録の一六時四〇分の血圧低下と、乙第八号証における迷走神経反射に基づくと疑われる一過性の低血圧とは同一のものであると解される。

この点、永尾供述は、一方において、「カテ中記録の一六時四〇分の血圧低下と、乙第八号証における一過性の低血圧とは違うときである。後者の一過性低血圧は、右の冠状動脈撮影中に生じたものであり、この後に大動脈造影、左心室造影、左心室心筋生検をやっているから、時間的にも両者は別である旨を述べている箇所がある(第一三回口頭弁論調書八六項ないし九二項)が、他方で一回であったかもしれないともしており(同二六二項、二六三項、二六五項ないし二六七項)、明確ではない。

しかしながら、右(一)(2)の記載からすれば、乙第八号証の三丁から四丁にかけての記載は体裁上経時的にされているものと解される上、そこには左心室造影により左冠動脈は確認した旨の宮本医師による記載に続けて、永尾医師により、矢印を付して一過性低血圧が生じたこと、昇圧剤エホチールを用いたこと、さらにその後左心室心筋生検を行ったことが記されていることに照らせば、右一過性血圧低下が永尾供述のように冠状動脈撮影中に生じたと解するよりは、心筋生検のみを残す段階で生じたものであると理解するのが合理的である。そのように解しても、永尾供述によれば、同被告は心筋生検の手技に熟達しており、それに要する時間は二、三分であり、かかっても五分であるというのである(同調書一〇六項)から、カテ中記録の一六時四〇分血圧低下、同五〇分検査終了の記載とも矛盾するものではない。したがって、永尾供述中、本件カテーテル検査の終了前に低血圧が二回出現したとする旨の供述部分は採用しない(なお、(1)に認定のとおり、検査終了後の左半身の硬直等の症状が現れたことに対する処置中に昇圧のため塩酸ドパミンを投与していることに照らすと、宗介はこの時点では再び血圧の低下を来していたことは窺われ、これについては、永尾供述においては触れられていないが、被告らの主張する二回目の血圧低下とは、このことを指すものと解される。)。

(三)  血圧低下、意識障害及び脳塞栓症発症との関係並びに同症発症の時期

そこで、右一六時四〇分ころに発生した血圧低下が脳塞栓症の発症と何らかの関連を有するのかについて検討する。

(1) 前記(一)(1)ないし(3)の各記載を総合すると、事態の推移は、(一過性の)血圧低下の発生、これに対する昇圧剤の投与、心筋生検の実施、検査終了、意識レベルの低下、左片麻痺・嘔吐症状の発現(及び二回目の血圧低下)の順で進展したことが認められる。このうち、左半身の麻痺及びそれと同時に発現した嘔吐症状等は、脳塞栓症の発症によるものと考えられるところ、同(2)の「左不全麻痺、散瞳(両側)がカテテーブルからストレッチャーに移動した後に出現した。」とか同(3)の「心カテ終了後一〇分ないし一五分で左上肢の筋力低下が吐気を伴って出現した。」という記載に照らすと、その症状発現の時期は、一六時五〇分の検査終了の一〇分ないし一五分後であると認められる。

(2) もっとも、右(一)(3)の訳文の記載によれば、前記一過性の低血圧と意識レベルの傾眠、左片麻痺等の発現が一連のものとして記載されていること、成立に争いのない甲第一九号証によれば、本件事故後、被告永尾が宗介及び原告らに対して、右冠状動脈造影のカテーテル操作中に血圧低下を来し、その数分前に発症したのではないかと、脳塞栓症の発症を血圧低下と関連するものとして説明していたと認められること等に照らすと、被告永尾は右血圧低下と脳塞栓症の発症とを関連づけて理解していたのではないかとも窺われないではなく、また、乙第二〇号証によれば、脳梗塞の急性期には、脳循環の自動調節機能が阻害され、脳血流は血圧の変動に伴って増減し、血圧の低下により著しい脳血流の減少を来たしやすいとされており、それによれば脳塞栓症の発症の際に血圧の低下が生じることがあることが認められる。

(3) しかしながら、右甲第一九号証は、その体裁及び弁論の全趣旨により本件事故発生後の昭和六二年一一月三〇日に宗介及び原告惠子、同佳恵ら家族が被告永尾に対し、本件事故の発症状況及びその原因等についての説明を求めた際の双方のやりとりを記録した録音テープを反訳したものであることが認められるが、そこに記録されている被告永尾の発言は、カルテや検査記録などを客観的記録を参照しながらなされているわけではなく、一般的医学知見と本件宗介の心臓カテーテル検査において生じた事象の説明とが意識して区別され、あるいは整理して説明されているわけでもないのであり、これらの点が前記カルテ等の記載や本件口頭弁論期日における供述との矛盾を生じている主たる原因と考えられる。そうすると、甲第一九号証における被告永尾の発言内容中、カルテ等の記載や弁論期日における供述と矛盾する部分は、その信用性に疑問を容れざるを得ないのであり、前記永尾の甲第一九号証中の発言にたやすく依拠することはできない。

そして、次の(a)ないし(d)の諸点を考慮すると、右(2)の事情は前記(1)の認定を左右するものではなく、右血圧低下の発現を直ちに脳塞栓症の発症によるものであると関連づけることはできないというべきである。

(a) (一)(2)のとおり乙第八号証の検査経過は、意識レベルの低下は、カテテーブルからストレッチャーに移動した後に出現した左不全麻痺、散瞳(両側)のさらに後に記載されているのであって、右血圧低下の直後に記載されているものではなく、同(3)の英文による記載は、宗介の脳塞栓発症時の状態の変化を乙第八号証の記載を更に要約して記載したものであって、それ自体厳密な意味で経時的変化を記録したものとは認め難いばかりでなく、それは、山本証言の指摘するように、「心臓カテーテル検査終了後一〇分ないし一五分」という行が、「その後」という時的修飾句の説明として「左腕の筋力低下」等だけでなく「意識レベルの傾眠」にも係っていると解する余地がないわけではない。

(b) また、証人雪嶋惠子の証言及び宗介の原告本人尋問の結果により、本件事故後、宗介が口授したところを原告惠子が録取したものであると認められる甲第一一号証において、宗介は塞栓症の発症に関して、「(検査が)もう終わりかと思ってうれしかった。その後、先生方が何か話し合って上からの指令を受け、手を動かしている様子がわかった。大分苦労しているなと感じた。その様子で何か、トラブルが起きたかなと思った吐端、左の目が見えなくなり頭が痛くなり吐き気があった。看護婦から器をだされたが昼食もしていないので吐くものはなかった苦しかった。その間ももの付け根が強くおさえられ痛かった。」と記憶を述べている。

右において、宗介自身が「左の目が見えなくなり、頭が痛くなり吐き気があった」と訴えている時点が、本件脳塞栓症が起きたときと認められ(山本証言)その時点で、同人は「ももの付け根が強くおさえられて」いたことを認めており、これによれば、止血処置中に脳塞栓の自覚症状が発現したことが認められる。

また、前記甲第一八号証によれば、宗介は、カテテーブルからストレッチャーに移され、止血の処置を受ける段階までの記憶を有しており、これを原告佳恵及び義弟大塚小介に話していることが認められる。

(c) 加えて、心臓カテレテル検査終了後の一般的処置について、山本証言によれば、カテーテル検査に使用するカテーテル及びガイドワイヤーには必ずシース(鞘)が付いており、検査終了後、カテーテルを抜去するときにはこのシースも同時に抜去することになること、そしてカテーテル及びシース抜去後は皮膚穿刺口から噴出する血液を止めるために、医師が穿刺口に手指を置き強く圧迫して圧迫止血をすること、普通、この圧迫止血に要する時間は最短でも三〇分、場合によっては数時間かかることになるが、途中止血処置を中止することは出血死を招来することになるため、絶対に許されず、仮に、脳塞栓がカテーテル操作中、即ち検査の途中で発症した場合において、医師がカテーテル及びシースを抜去し、止血に入ることなど考えられないこと、その理由は、第一に、塞栓症が起きるといった緊急時に、最短でも三〇分はかかる止血処置に入ることは時間の浪費であり、医師ならばそうした処置を選択しないと思われること、第二に、止血に入れば患者を絶対安静にして医師がその横に付さ添って止血を施すのであり、CT検査を実施するにしても、患者をCTの検査台に乗せるにしても大変な困難を伴うことになること、第三に、シース自体、血圧のモニターに利用できるのであるから、わざわざこれを抜去する必要がないことに存することが認められる。

そうすると、一般的な心臓カテーテル検査の術後管理の観点からも、本件塞栓症の発症は検査途中ではなく、ストレッチャーに移して止血中に発生したものと理解するのが合理的である。

(d) 心臓カテーテル検査においては、迷走神経反射による一過性血圧低下がしばしばみられるところ、宗介の右一過性血圧低下もそれによるものと推測され(山本証言、永尾供述)、前記(一)(2)のとおり乙第八号証にはその旨の記載がされている。

(4) 以上のとおり、宗介の脳塞栓の症状は、右一過性の血圧低下が生じた一〇分後である一六時五〇分のカテーテル検査終了後、更に一〇分ないし一五分を経過し、ストレッチャーに移動し、シースが抜去されて止血処置を受けている時点に発現したものと認められる。

この脳塞栓発症の時期を前記1認定の、栓子が脳に達するまでの時間は数秒を出ず、かつ、脳塞栓症の症状は極めて急激に発現し、脳局所徴候は二〜三分以内に完成するとされている医学上の知見に照らすと、右一過性の血圧低下が宗介の脳塞栓症の発症によるものとはいえず、また、同症が本件心臓カテーテル検査中のカテーテル操作により栓子がはじかれて生じたものでもないことは明らかである。なお、前記(一)(1)のとおり、宗介は右一過性血圧低下の際にも「嘔気」を訴えたことが認められるが、右のような一過性の血圧低下によっても吐気が生じる場合があること(山本証言)、右宗介の左半身硬直等の症状発現の時期や同人の記憶の存在等を併せ考えると、右一過性血圧低下の際の吐気の発生をもって脳塞栓症の発症と認めることはできない。

3  脳塞栓と本件心臓カテーテル検査との関係

(一)  脳塞栓症は、心臓カテーテル検査の一般的な合併症の一つであること、他方、宗介には拡張型心筋症に由来する心房細動、不整脈の症状があり、心房内に血栓ができやすく、脳塞栓症を発症しやすい状態にあったことは当事者間に争いがない。

(二)  前記一3のとおり、本件心臓カテーテル検査においては、右冠状動脈造影につき、同所にカテーテルを挿入することができず、やむなく大動脈造影をもって右冠状動脈造影の検査に代えることとし、そのため、この段階まで検査メニューが進むのに通常よりも長時間を要したが、前記甲第一九号証、乙第八号証、永尾供述及び弁論の全趣旨によれば、通常は右冠状動脈造影は一〇分程度で終わること、宗介の場合には、右理由により医師たちがいくつかのタイプの異なるカテーテルを取り替えながら、代わる代わる挿入を試みたため、この試技に一時間程度を費やしたこと、しかし、この所要時間は静岡病院における症例としては長時間を要したというにとどまり、大学病院等他の医療機関における実施例では、数時間をかけることもまれならずみられるのであり、検査自体として特に時間がかかったというわけではないこと、また、同検査を担当する医師としては、カテーテルの操作回数の増加は、それにより栓子をはじく危険が増加し、脳塞栓症発症の危険を増すと理解するが、検査時間の長期化自体による身体の負担増については、投薬により血栓等の生成を予防して当たるので、脳塞栓発症の危険性増加との関係では考慮には入れないのが一般であることが認められる。

その他、本件心臓カテーテル検査につき、その手技に過誤があったことを認めるに足りる証拠はない。

(三)  そして、前記2に認定の各事実に甲第一九号証、山本証言及び永尾供述を総合すると、術中に生じた前記心室性期外収縮は基礎疾患に由来し、また一過性血圧低下は迷走神経反射によるものと推測されるもので、カテーテル検査において通常みられるものであり、また、宗介の右各症状に対しては、その都度薬液の静注がされているほかは特段持続的な処置がされているわけではないことが認められ、これらに照らすと、宗介の右各症状は、投薬により直後に解消したものと認められる。

(四)  右各事情の下においては、宗介の検査中の負荷が通常の心臓カテーテル検査における負荷に比して特に過重であったとまでは認めるに足りず、他にその負荷が宗介の脳塞栓発症に寄与したことを認めるに足りる証拠はない。

4  小括

以上によれば、本件心臓カテーテル検査と宗介の脳塞栓発症との間には因果関係が認められないから、その余の点を判断するまでもなく、原告らの請求原因4(二)の右カテーテル検査の実施に関する過失を問題とする部分は理由がない。

四  説明義務違反の点について

1  医師が患者の身体に対して手術等の侵襲を加える場合には、緊急やむを得ない等の特段の事情がない限り、その侵襲に対する承諾があって初めて違法性を阻却するものであり、違法性を阻却させる要件たる右承諾の前提として、当然いかなる医療行為がなされるのかについて説明をなすべきことが要請され、他方、患者ら手術等の医的侵襲を受ける者の立場においても、これを受けるか否かについて自由な選択をすることができる自己決定権は最大限尊重されるべきであるから、この観点から判断の資料としての十分な説明を求めることができるというべきである。そこで、医師としては、遅くとも手術等医的侵襲行為の前までには、患者ら医師の医療行為を受ける者が自由な意思に基づいて自己決定をすることができるように、右判断のために必要な事項(手術の目的、内容、危険性の程度、手術を受けない場合の予後、後遺症の見込み等)について説明し、その上で同意を得る必要があるというべきであり、そのような説明がされないままに手術等当該医的侵襲行為に至った場合には、その結果の良否及びその責任の有無の如何に関わらず、患者の自己決定権を侵害したものとして、患者自身にこれによって被った損害が認められる限り、これを賠償する責任があると解する余地がある。

したがって、本件においては、前記のとおり、本件心臓カテーテル検査と宗介の脳塞栓症発症との間には因果関係が認められないから、右カテーテル検査の過程に関しては被告らに賠償責任は認められないとしても、なお、右のとおり説明義務違反に関して被告らに賠償責任の生ずる余地があるので、この点について検討する。

2  惠子証言及び原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一二号証、いずれも成立に争いのない乙第一号証、第六号証、第一九号証、前記乙第二号証、山本証言、永尾供述、原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  前記一2のとおり、宗介は昭和六二年九月七日に静岡病院心臓病センターの診察を受け、運動負荷心電図において運動後心室性頻拍症が認められ、被告永尾から致死性の不整脈があることを告げられ、即日入院を指示されたのであるが、被告永尾は、宗介の疾患について、心電図上、心房細動、心室性頻拍症を呈し、著明な心拡大を示していることから拡張型心筋症の可能性がもっとも高いが、なお虚血性心疾患の合併の可能性を払拭できないと考え、その合併の有無及び拡張型心筋症であるとしても、その重症度を明らかにする必要性があり、そのためには心臓カテーテル検査による心筋生検が必要であると判断し、そして、同被告は、たまたま検査日程上一〇月二二日に余裕があったので、同日に宗介の検査の実施を予定した。

(二)  そこで、被告永尾は、宗介及び原告惠子に対し、九月一九日午前一〇時三〇分ころ、心臓カテーテル検査についての説明の席を設けた。

(三)  その際の説明の内容の骨子は、おおむね次のとおりであった。

① これまでの検査結果からすれば、宗介の病気は拡張型心筋症の可能性が最も高いが、虚血性心疾患の合併も否定できない。

② 拡張型心筋症は、心臓の働きが悪いことから心臓内で血栓ができやすく脳梗塞を合併する危険が極めて高い疾病であり、また宗介の場合不整脈があり突然死の危険もある。

③ いずれにしても今後の治療方法の選択のために確定診断が必要であるが、そのためには、虚血性心疾患の合併の有無の確認、拡張型心筋症とすれば、その重症度、予後の判定のため左心室造影、冠動脈造影、心筋生検を含めた、心臓カテーテル検査が必要である。一〇月二二日に検査の予約が取れた。

④ 右検査に伴う合併症としては、死亡、心筋梗塞、脳血栓症等が考えられるが、静岡病院における経験、実績から考えてその発生頻度は0.1パーセントから0.05パーセント、言い替えると一〇〇〇人から二〇〇〇人に一人の発症ということになる。しかし、このような検査に伴う重症の合併症は重い心臓病患者に多く発生するのであって、宗介の場合にはその危険は少ないのではないか。したがって安心して検査を受けて欲しい。

(四)  宗介は、自分の病気のこと等について回診の医師ないし看護婦に比較的よく質問をする方であり(例えば、乙第一号証中四二丁裏の看護記録の記載には、宗介が自分の脈について看護婦に問いかけたり、退院時の診断書の内容等について永尾医師にいろいろ質問をしていた旨の記載がみられる。)、また、九月二六日に一旦退院し、同年一〇月二一日に検査のために再び入院したが、この間、一〇月一四日ころ、心臓カテーテル検査を受けた知人を見舞い、その体験を聞いたところ、血栓の生成を抑制する薬であるワーファリンの服用をしていると、血液の凝固が抑制されるために検査後の止血に手間取るとか、交通事故に遭うと危険であるという話を聞かされ、自らワーファリンの投与を受けていることから不安になり、被告永尾に対してこの点を心臓カテーテル検査についての不安も併せて質問するなどしている。

(五)  宗介は、本件心臓カテーテル検査の施行を承諾し、昭和六二年一〇月二一日付承諾書を提出し、本件心臓カテーテル検査を受けた。

(六)  右認定に対し、原告らは、(a)説明が行われたのは九月一八日であること、(b)説明の内容は、宗介の病状についても、カテーテル検査の内容についても、その必要性についても十分な説明をせず、現実に発症が危惧される脳塞栓症をはじめとする合併症については何ら言及することなく、安全性を強調するのみで、一方的に検査日を指定して、宗介に事実上諾否の自由を与えないまま、本件カテーテル検査を受けさせた旨主張する。

そこで検討するに、まず説明の行われた日時については、乙第一号証中の診療録(二四丁裏)には、九月一九日の欄に面談の実施を表すゴム印が押捺され、面談内容要旨として、①宗介の病気は拡張型心筋症の可能性が最も高いが、虚血性心疾患の合併も否定できないので、その除外診断の必要性があること、②拡張型心筋症は、脳塞栓症を合併する危険が極めて高い疾病であり、また宗介の場合不整脈があり突然死の危険もあること、③虚血性心疾患の合併の有無の確認、拡張型心筋症とすれば、その重症度、予後の判定のため左心室造影、冠動脈造影、心筋生検を含めた、心臓カテーテル検査が必要であることの三点について、簡略な骨子の記載がある。

そして、原告らは右記載が経時的に行われたのではなく、事後に書き加えられた疑いがある旨指摘するが、右は日時の点については同号証の三六丁裏(看護記録Ⅲ)の九月一九日午前一〇時三〇分「面談」との記載と一致するのであり、右看護記録の記載はその体裁から経時的にされていることについて疑いを入れるべき事情はないから、結局これと整合する前記診療録の記載もまた信用に足りるものというべきである。また、宗介供述は、九月一八日に面談が行われた根拠として、同日は金曜日であり、被告永尾は毎週金曜日の午後は榛原総合病院に出張するのが日課になっており、午前中は外来を担当していたから、外来診療が始まる八時三〇分以前に面談が行われると思い、原告惠子を早朝から呼び出していたと述べ、惠子証言もこれと同旨であるが、そのような多忙な日に敢えて面談をもうけるというのは不自然であるとの印象を禁じ得ない。これらによれば、九月一八日に面談が行われたとする原告の主張は採用することができない。

次に、説明内容についても、宗介は、「①宗介は、普通の心房細動なら入院しなくてもよかったが、ポックリ病の心電図だったから即入院してもらった。心筋症の疑いがある。②一〇月二二日に心臓カテーテルの予約をとった。心臓の筋肉をつまんでくるカテーテルをやる。③(原告惠子がカテーテル検査の危険性について質問したのに対し)九九パーセントは大丈夫だ。(宗介が、もし、その一パーセントの中に入ると困ると心配すると)宗介の場合は考えられない。今までの検査結果、コレステロール、肝機能、血圧すべて正常で、もっと高齢の人や心臓の悪い人もやっているから宗介の場合は大丈夫だ。安心して受けてほしい。大分データがよくなってきたから、近々退院してカテーテルに備えて欲しい。」という説明を受けただけで、死亡、心筋梗塞、脳血栓(脳塞栓)などの合併症がありうるという説明や、確定診断のためにカテーテル検査をやる必要があるという説明は聞いておらず、被告永尾の話し方は、早口の関西弁でわかりにくかったが、検査を受けるかどうか宗介の意向を尋ねるというものではなく、予約がとれたから検査をやるという一方的な通告のようなものだったと供述する。しかし、右宗介の供述に現れたところを前提としても、なんらかの合併症の発症率について質疑が交わされていることに照らせば、その危険について説明されたことは疑いがない。

そして、永尾供述によれば、一般に合併症の説明として前記(三)④のような趣旨の説明をするというのであり、これと右原告ら主張の説明内容とは、脳塞栓等の可能性に具体的に触れているか否かの点を別とすればほぼ一致する内容と考えられること、前記甲第一九号証に記録された原告家族らとの対談において、被告永尾は、原告佳恵から、事前に危険性の説明がなかったことを追及されているが、同原告は面談に立ち会っていないものであり、その説明がなかったことを前提とする質問が正鵠を得ているかどうかは明らかではない上、被告永尾は、これに対して「本人には、心筋症という病態で心房細動があれば、脳血栓(脳塞栓)の率が高くなるという話は、何度も言ってあり、それゆえに薬を与えてある」旨答えているのであり、それによれば、被告永尾は、宗介に対し、合併症ことに脳塞栓症発症の危険について、面談の場以外でも宗介に説明していたことが窺われること、宗介は、前記(四)のとおり、どちらかといえば納得のいくまで説明を求めるタイプの患者であったこと等に照らせば、前記質疑の前提として、それが宗介らの記憶に残ったかは別として、脳塞栓あるいは脳梗塞等の合併症についても説明が及んだものと推認することができるのであり、多数の患者を扱っている被告永尾に宗介に対する説明の場面についての具体的記憶がないため、具体的な供述が得られないとしても、右推認を妨げるものではない。

3  以上によれば、被告永尾は、本件心臓カテーテル検査の実施につき、その必要性及び合併症の危険性等について、宗介が諾否の判断をするのに十分と認められる説明を尽くしたものと認められるのであり、説明義務の懈怠はないというべきである。

4  よって、この点についての原告らの主張も理由がない。

五  結論

以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用について民訴法八九条、九三条一項本文を適用して原告らの負担とすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉原耕平 裁判官安井省三 裁判官前田巌)

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